こんにちは森下仁丹です その1〜仁丹開発の歴史

2018.08.29

私たち森下仁丹は、前進の「森下南陽堂」から数えて2018年2月11日に創業125年を迎えました。森下仁丹といえば、口中清涼剤の「仁丹」をイメージする人も多いのではないでしょうか。大礼服を着た紳士のパッケージが、銀色のツブツブが特徴の商品は、おかげさまで多くの方々に愛されています。

実際に、森下仁丹の歴史もこの仁丹から始まりました。開発当初から変わらずに受け継がれているのは、お客様の健康を願う私たちの思いです。今回は、仁丹の誕生から現在に至るまでの私たちのストーリーを紹介していきます。

最初の仁丹は赤だった! 仁丹誕生ストーリー

1世紀以上にわたり、みなさまから愛されている仁丹。その誕生は、明治時代半ばにまで遡ります。当時は医療もまだ発展しておらず、風邪や食あたりで命を落とす人も多かったといわれています。こうした状況を見かねた創業者の森下博は「万病に効果があって飲みやすく、携帯・保存に便利な薬が作れないか」と考えました。

森下仁丹創業者の森下博

森下仁丹創業者の森下博

仁丹の開発にあたり、森下が参考にしたのは日清戦争に出征した際に目にした台湾の丸薬の技術でした。帰国した森下は、さっそく大阪の薬町として知られる道修町(どしょうまち)で生薬の材料を買い集めます。そして、薬学の権威だった千葉薬專(現・千葉大学)の教授の教えを受け、3年ほどかけて仁丹の元となる生薬を完成させました。

1904年には、森下が単身で丸薬の本場・富山へ足を運び、生産方法を学ぶとともにさまざまな製丸機を試しました。そこで見かけた最新の製丸機と製丸師を連れて大阪へ帰った森下は、丸薬の製造に着手したのです。

こうして、最初の仁丹「赤大粒仁丹」を1905年に販売。当時の仁丹は、携帯や保存製を高めるために、生薬を粒状にしてベンガラ(鉄酸化物)で包んだ赤い丸薬でした。そして1929年には、丸薬を銀箔で包んだみなさんにもおなじみの「銀粒仁丹」が誕生しました。

継ぎ目のない「シームレスカプセル」の研究・開発

仁丹は、発売から2年後には当時の市販薬として売上高1位を達成。そもそもは総合保健薬として開発された仁丹ですが、戦後は医薬部外品の口中清涼剤としての販売に切り替えました。そして、1970年代には、口中清涼剤の草分け的な存在にまで成長しました。しかし、私たちはさらなる商品開発に努めます。

続いて着目したのは、液体の仁丹を作ることでした。当時、薬品などに使われていたカプセルは、継ぎ目のあるものやハードタイプのものが主流でした。

しかし、継ぎ目があると、中の液体が染み出てしまうといった問題が生じます。また、口中清涼剤としては口に入れて数秒で溶けるカプセルが適しているとの考えから、薄い皮膜で継ぎ目のないカプセルの開発が始まったのです。

このとき集められた研究者は男性2名、女性1名の計3名。プレハブの実験室で、薄い皮膜のカプセルを作るための試行錯誤が繰り返されました。

しずくができる原理を応用し、微生物のカプセル化に成功!

シームレスカプセル技術の開発に大きく寄与したのは“水滴”でした。あるとき、葉っぱから落ちる朝霧のしずくを目にした研究者は、この水滴をカプセルに応用できないかと考えました。そして、界面張力を利用した「滴下製法」によるシームレスカプセルを完成させました。

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そして、液体をカプセル化することに成功した森下仁丹の次なる挑戦は、生きた微生物をカプセルで包むことでした。特定の環境でしか生きられない微生物を生きた状態で必要な場所まで届け、カプセルが溶けると菌が生き返るような仕組みを作る。つまり、微生物の効果を最大限に発揮できるための方法として、シームレスカプセルの新たな活用方法を生み出しました。

カプセル技術の発展は、私たち森下仁丹の発展そのものといっても過言ではありません。現在は医薬品や機能性を追求した食品にも応用され、森下仁丹の核となる技術にまで成長しています。今までも、そしてこれからも、みなさんの健康をサポートするために私たちにできることを続けていきたいと考えています。

※本内容については、現行の製品のものではなく、当社の歴史に基づいて記載しております。
文責:森下仁丹

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